4.本田宗一郎語録本田宗一郎


昭和58年創立35周年記念式典で
俺も大変いい加減な社長だったけど、今度の社長は俺よりもっといい加減な社長だからな!皆がちゃんとしてくれないと大変なんだよ、頼んだよ!!」
<社長・河島喜好氏>
空冷対水冷論争で 歴代社長は楯つきましたよ。楯つかないヤツはおかしいですね
<本田が空冷に対して、久米3代目・川本現社長共に、水冷支持者>
新入社員研修会で 君たちは、企業の犠牲になるな。自分の生活をエンジョイするために働きに来るべきだ。
昭和49年
ミシガン工科大学から名誉博士号の称号を贈られたときの記念公演で
多くの人は皆、成功を夢見、望んでいますが、
私は、”成功は、99パーセントの失敗に支えられた1パーセントだ”と思っています。
開拓精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗・反省・勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています。
<本田宗一郎語録 ソニーマガジンズ>
昭和49年
お礼の全国行脚の旅にて
従業員が、手を差し出したものの、自分の油まみれの手に気づき、あわてて引っ込めると
「いや、いいんだよ。その油まみれの手がいいんだ。俺は、油の匂いが大好きなんだよと言って、しっかりと手を握り・・・
<もう1人の本田宗一郎 原田一男著>
藤沢との有名な会話

引退を決意してから最初に会って
本田「まあまあだな。」
藤沢「そう、まあまあさ。」
本田「幸せだったな。」
藤沢「本当に幸せでしたよ。心からお礼を言います。」
本田「俺も礼を言うよ。良い人生だったな。」
昭和27年白子工場の修復で 一番最初に水洗便所を作ると言い出して、
「トイレというものは、生活の中で、すこぶる重要な部分を占めている。それこそ、衣・食・住・便と並べたいほど、必要欠くべからざるものと思う。」
<得手に帆挙げて>
台風で他の工場が崩壊 台風という天災だからしょうがないということにたいして
「もともとの原因は、うちの堰だから、すぐに伺って弁償しろ
研究所の社長退任 恐る恐る言いに行った「西田通弘」に対して
「今日やめる」
10 F1コンストラクターチャンピョンになった会見で 歴史もなければ、伝統もない。レースの専門家なんてひとりもいません。ウチにあるのはウチらしい技術だけなんです。・・・まさに「夢」のようです。
11 ’87日本グランプリで負けた櫻井淑敏氏に 創立者の顔をまともに見られない櫻井氏に対して
「勝負は時の運」

本田宗一郎