人間「本田宗一郎」1991.8.5 永眠 84歳
提供 本田技研工業(株)広報部 「ありがとうございました。」
NEWS!・・・2023年(令和5年)2月10日 藤沢武夫氏がアメリカの自動車殿堂に加わることが発表された
1.私と「ホンダ」そしてバイク---「本田」との出会い |
2.人間「本田宗一郎」------「本田」の素晴らしさ |
3.「本田宗一郎」語録------「実にユニーク」な言葉 |
4.「本田宗一郎」に関する書籍--1度読む価値あり |
5.「本田宗一郎」関連情報----「本田」に関する情報など |
6.「藤沢武夫」---------「本田」の良きパートナー |
7.「Hondaスピリット」---------「本田の原点」 |
1.私とオートバイとの出会い
高校1年の時、出会ったバイクは「CB50」。以来「ホンダ」とのつき合いが始まる。CB250・CB350そして CB750F<ドリーム>そして、それが本田宗一郎との出会いでもある。 当時、「ナナハン」にあこがれ大型自動二輪<まだ、中型はなかった。ヘルメットも厳しくなかった>を取得。 大学 受験のため、しばらくバイクに遠ざかる。しかし、大学生になって、250CCに乗る。 30歳を前に本田邸を訪れるが、場所がわからず断念。それが一生の後悔である。その後、帰らぬ人となってし まったのである。就職して、残念ながらまたしてもバイクから遠ざかる。しかし、40歳の今、もう1度、夢<ドリーム> を求めてバイクと出会った。 |
2.本田宗一郎
「得手に帆挙げて」 1906年、静岡県磐田郡光明村に生まれる。48年に設立した「本田技研工業」を「世界のホンダ」へと躍進させた。 その手腕と仕事にかける情熱は、ホンダイズムとして松下幸之助と並び称され、多くの共感を呼んでいる。 73年、藤沢副社長と共に、社長を退任、取締役最高顧問に就任。81年には、勲一等瑞宝章を授与される。 89年、自動車業界において革新的な業績をあげた人々を記録するAutomotive Hall Fame に、日本人として初めて 殿堂入りを果たす。91年8月没。主な著書に「私の手が語る」「スピードに生きる」などがある。 <得手に帆挙げて 三笠書房 「著者紹介」より> |
略歴 |
5.本田宗一郎関連 |
1.本田宗一郎と一緒に働いていた人のページがありました。とてもおもしろい話です。 |
denbey's home ページ ※残念ながら現在は、見られません! |
2.本田宗一郎関連のビデオなど |
・「やらまいか」 NHKテレビより録画 ・「本田宗一郎」スケッチ 中京テレビより録画 ・「我が友 本田宗一郎」 NHKソフトウェアより購入<4,900円> ・「ホンダコレクション レストアマシン」テレビより録画<1998.5.22> ・「お礼の会」「本田宗一郎の絵」denbeyさんより ・「世界を驚かせた1台の車」NHK「プロジェクトX」 ・「アイデアコンテストでのスピーチ」のテープ denbeyさんより ・「皆様のおかげで幸せな人生でした。どうもありがとう。本田宗一郎」本田技研工業 |
3.関連記事 |
・「オートバイ6月号」<1998>本田50年史の記事<220ページに掲載> |
4.ホームページ |
・「本田宗一郎ものづくり記念館」のページ |本田宗一郎ものづくり伝承館 (honda-densyokan.com) |
5.永眠先 |
・「富士霊園」富士山を見ながら、富士スピードウェイ の爆音が聞こえる。<平成12年8月4日> |
6.藤沢武夫 昭和63年12月30日没 | |||||||
略歴 明治43年11月10日、東京生まれ。昭和3年京華中学を卒業。昭和24年、本田宗一郎を知り、共同して本田技研工業の基盤 を作る。昭和52年4月藍綬褒章。 |
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番号 | 書 籍 名 | 著 者 | 発行年月日 | 価 格 | 出 版 社 | 備 考 | 購入 |
○1 | 経営に終わりはない | 藤沢武夫 | 昭和61年11月3日 | 1359円 | 文藝春秋 | 世界のHONDA 影の立役者の登場 |
購入可 |
○2 | ホンダの原点 | 山本 治 | 1996.10.15 | 590円 | 成美文庫 | 企業参謀・藤沢武夫 の経営戦略 |
購入可 |
○3 | 松明は自分の手で | 藤沢武夫 | 1998.7.10再 | 450円 | 本田文庫 | ホンダとともに25年 | |
○4 | ホンダをつくったもう一人の創業者 | 大河 滋 | 1998.12.10 | 1600円 | マネジメント社 | 藤沢武夫の経営哲学 | 購入可 |
2023年(令和5年)2月10日、アメリカの自動車殿堂に加わることが発表された |